おんがくにおしえてもらったこと

6月30日
岩波書店で開かれた、大友良英さんのワークショップのゲストということで、話したり一緒に歌ったりしてきました。私は、普段はMCもままならないくらいで、トークなんてしに行って大丈夫だろうか?と思いながら緊張して行きました。一つ、大丈夫かも、と思えた要素が、この「学校でおしえてくれない音楽」というタイトルから、普通じゃなくてむしろよいのだろうと思ったし、もう一つ、前に、郡山のまなびやの授業を突如思い立って聞きににいった時、大友さんが話していた内容は、「全部ぶっこわしたい」という風に自分なりに受け取めれて、すごく響いたので、私が行っても大丈夫かなと思ったのです。

時間はあっという間に過ぎるよー、と伺いつつ、迎えた開始〜気付いたら、私は、小学校のときのステージ体験を話していました。合唱のクラスがとても厳しかったこと、それはスポ根的に楽しいものではあったけど、でも今考えると疑問もいっぱいある。歌のテストって何だったんだろう。あれが子供にかえって恐怖を与え、歌に対する苦手意識を植え付けるんじゃないの。また、ある日の朝会で、全校生徒の前で私はその日ひとりで歌うことになっていて、でも歌わなかった(歌えなかった)。あの時、良く言えば、自分の中で歌うと歌わないで葛藤があり、初めて反発もして、でも実は、クラスメートに対してカッコ良く見えたくない、ただのビビりとも言えるんだけど、とにかく、伴奏のピアノが鳴っている間、曲の終わりまでそこにぼーっとつっ立ったまま一言も声を出さなかったのでした。あの数分間はとても長くて、今でもありありと覚えてる。ともすると、この話は、そんな体験するなんてすごいね、みたいな話にもきこえるかもしれないけれど、根強くあったものなので、この話をさせてもらってすっきりしました。バンドやりはじめの頃によく見た夢で、さあやるぞって時に、ギターの弦が全部貼ってない、とか、ステージだと思ったら屋根の上にメンバー全員でいる、とか。最近でも、ピアノが弾きたい、とお願いしたら、会場中がおもちゃのピアノで埋め尽くされていた、これらは全部夢だったけど、悪夢は現実にもあった、というお話でした。(余談ですが、夢も現実なんだそうですが)

その、学校でうまくいかなかった音楽体験も、私の場合は不協和音やパンクのおかげで、別にいいや、と思えたわけです。むしろはみでることの方が大事になっていったわけで、と、そんな話をはじめたら、多種多様にみんなのシチュエーションがあるはずで、それ、全部きいていったら面白いだろうなあ。

声をだすときにフックがかかる、みたいな話が参加者の方からあったと思うんですが(私がまたも頭の中で変換してしまっているかもしれないけれど)、とにかく大きい声が出したい、という方でした。歌だと思って声を出す時に、別の回路が作動し、平素出している、あっ、て出せるはずの声よりも音量が明らかに下がる、というところに繋がり、深い話だなあと思うし、いくらでも掘っていけたなあ、と、やはり時間は足りない。自分でも、その境界のことはよく考えるし、合唱隊うんどら、をやっている時も個々の音量については考えています。

それにしても、大友さんは話が上手などころか、喋れないはずの私まで喋ってしまう、すごいなあ。あと、やっぱり大友さんのいるところは、演奏が愉しいし、どんな瞬間からも可能性を常に探している、まず自分が音楽からおそわるってことを大事にしているんじゃないか、と思いました。

そう、最後に会場にとびこみ、なんだここ?みたいな顔してた隆司といったらなかった。
スペシャルでございました。