Who cares?

冬の凍みつく、だからといっていなくもなれない寒さん中やってきたミックス、を再度(さいさん)やり直すことにきめた、三月。
誰だっけ、そこからもう一度さらに頑張る、もう一度、もういちど、と詠んだのは。そんな詩があったっけ。
ほんとうにそう、実際にやってみないとわからなくて、来れない場所にいる。
そこでぼんやり違う方向を見ながら、タカシと音楽が一致するのを待っている。
テニスがこのまま作品を上げれなかったら、という今までだって何度も経験してきたほずの不安や焦り、これは何だろう。でも、これがなかったら、サクラの美しさにもそれほどみとれなかっただろうな。
音楽で悩んできたこと、上手くいかないライヴ、それらずべてが私の見るものに映っている。


今、来日中のニコラス・ケルゴビッチさんのWho Cares?の歌詞の日本語訳を写します。


誰も気にはしないさ 僕が一睡も出来なかったところで

誰も気にはしないさ 僕がきちんと振る舞わなかったところで

最高の状態だったところで 調子良さそうに見えたところで

僕の両目が 理想的なコンディションだったところで

今はもう訊かないで欲しい 何一つ僕は駄目だから


誰も気にはしないさ 僕が見当たらなかったところで

孤独なうめきを 最後に響かせたところで

再び春が訪れるのなら まったく同じように歓迎するよ

見返りを求めなければ 逃れるゲームの一つもありはしない

だから僕は僕の暮らしを営む 何に導かれることもなく

そう最後の一つは決まってクズさ

とがめる相手は自分だけ でも誰も気にはしない

誰も気にはしない 誰も気にはしないさ



この日記、誰が気付くかな?